pneumalogue|ぬぅまローグ ✧ 自己紹介・プロフィール

プロフィール

pneumalogue|ぬぅまローグ✧自己紹介・プロフィール

🌱こんにちは

心生こころおいぬぅま(通称:ぬぅま)は、
発達性トラウマ障害(DTD)歴35年以上の
近 親 姦サバイバー



スイスでの安楽死をモチベーションに、
日々トラウマケアに取り組んでいます。


ブログ『pneumalogueぬぅまローグ』もその一環です。



いきなり重い話で恐縮ですが、
私の最初の記憶はこうです。




寝ている間に

父からされていたこと……

逃げたにもかかわらず、

翌朝、母から『良かったね』と抱きしめられ

混乱のあまり言葉を失うーー

またあの悪夢だ……とうんざりし、

眠れない幼児の自分



私の中では常に、**「消えない体感」と
起きたことではないと信じる自分」**とが
鬩ぎ合ってきました。

さらに母からの「躾」という名の体罰や、
単なる嫌味や無視も加わり
確執が強まる一方、


“溺愛する”父に対して
「お父さん子」に成り切ることで、

家族を繋ぎ止めている」という正義感を
拠り所にしながら成長しました。



両親の歪な“愛情表現”が繰り返されるたび、


不信感と孤立感が刺激されつつ、


現実と否認の狭間で自分を麻痺させながら、


私の人格の基礎は形成されていったようです。



私は「トラウマ症状のない人生」を知らない。
それを自覚できたのも35歳になってからのことです。


表向きはいまだに「健常者」を演じています。


その裏で
「他人に見せてきた自分」と
「自己否定してきた自分」は

まるで別人のようで、

1人の人間としてどう表現すればいいのか、
いまも模索し続けています。

どちらか一方に縛られると息苦しく、
両方をさらけ出せば「誤解される
という強迫観念から、

無名でありながら同一人物と悟られないよう、
ペンネームを頻繁に変えたり、アカウントごと消したりします。



それでも、
多面性を分け隔てなく表現することは、
解離した人生の断片をつなぎ、
統合する練習になるのではないかーー



こうした試みを、このブログに託しています。



私は、児童 性 的 加害(CSA)啓発者であり、

ソロガミスト(自身を伴侶とする生き方)、

反出生主義(子づくり・出産の倫理を考える)

安 楽 死 擁護者(精神障害者尊厳死)、

コスモポリタン(国際人)、

そして美食家でもあります。



「発達性トラウマ障害」などなかったかのような健常者としての側面が現れることがあったら、

それはきっと、私自身が記憶していない
虐待を受ける前の人格」が
息を吹き返そうとしているのだと想像します。



そう信じることで、
私は自分の中に眠っている可能性
少しずつ受け入れていこうとしています。



ぬぅまの考えや日々の記録は、
X(旧Twitter)noteでも発信しています。

🧠⚡️トラウマ治療・回復歴


1980年代生まれ、英語圏出身。

父親から受けた性 加 害は、おそらく4歳の頃のことです。


記憶喪失、フラッシュバック、幻聴、解離、過食症、自分が自分でない感覚、自己否定、自殺願望……

思い返せば、あらゆる症状が出ていました。

けれど、それがトラウマ体験とその否定によるものだとは、思いもよりませんでした。



20代の頃、
ザ・レイプ・オブ・南京:第二次世界大戦の忘れられたホロコースト』の原作を読み、
日系人としてのアイデンティティが倒壊しました。



これをきっかけに、
日本の隠蔽された歴史を学ぶために東京へ。

諦めていた「家からの脱出」を予想以上に円満に果たしました。



学費も生活費も全て自分で賄うため、
奨学金の資格としても成績を維持しつつ、
アルバイトを掛け持ちし、
通訳者として個人事業も始めました。



20代半ば、
恋人に怒鳴り続けてしまう自分の姿が、
まるで母のようであることに愕然とし、
精神的に異常な状態に気づき始めました。


トラウマによる月経前増悪(PME)を、
PMDD(月経前不快気分障害)と誤診した
医師から、低容量ピルを処方されました。


その副作用で命を落としかける経験を機に
代替医療に切り替えました。


以降、古今東西の療法を死に物狂いで試行錯誤しました。


(漢方薬、ヴィパッサナ瞑想、アヤワスカやアイボガなどの天然向精神薬(マクロドージング・マイクロドージング)、ゲシュタルト療法、自助グループ、陰陽五行、アーユルヴェーダ、電話相談、精神科通院など……)


けれど、自称“シャーマン”からセラピー中に
猥褻を受けたりするなど、
決して「救い」ばかりではありませんでした。

転機が訪れたのは30代後半。

ゲシュタルト療法を受けたことで、
長年「愛情」と刷り込まれてきた体験が、
性 的 虐 待だったことを自覚しました。

さらに、
自分がおかしいのだと疑わされてきた背景に、
両親による“ガスライティング”という
心理的操作があったことも、
ようやく言葉にできるようになりました。


毒になる親』の原作に背中を押され、
両親に罪を問い、絶縁しました。

死ぬことよりも恐れていたこの対峙は、
自分の人生の舵取りを奪い返すために
重要な一歩でした。


でもその過程で、自分が弟にしてきた行為が性的加害や精神的虐待であったことにも気づきました。


弟には謝罪し、許しを得ました。
でも、私自身は自分を許すことができません。


自分を責める姿が、
かえって弟を悲しませることを知りました。
だから、せめて
その姿を見せないよう気をつけています。

それなのに、両親は弟を心理的に操作し、
私の必死の努力を無にするかのように、
兄弟関係にまで誤解と不信感を生じさせています。


トラウマ症状は落ち着くことはなく、
むしろ強まる一方です。

感情や感覚の麻痺、
根深い人間不信による対人トラブル、
性依存、性的虐待順応症候群(SAAS)、
セルフ・ネグレクト……


症状は無限にあり、
心身ともに影響を受けない日はありません。



その原因の一つが、
4歳の頃から40代に至るまで抱えてきた
発達性トラウマ障害(DTD)」
にあるのだと気づくまでには、
さらに長い時間が必要でした。


これらの症状は、
精神疾患「複雑性PTSD」と重なる部分が多いです。

でも私の場合は、DTDの症状が
長期間放置されたことで悪化したものです。


さらに言えば、これは少なくとも
両親の世代から続く「世代間トラウマ」でもあります。


母は幼少期に母親から捨てられ、
父は長男の兄に対して劣等感を抱えており、
その背景としてうかがえます。


祖母の「女のくせに」という言葉からは、
男尊女卑の根強さが滲み出ていました。


私がDTDに気づくのが遅れた理由の一つは、
医療界におけるトラウマ認知の遅れにあります。


幼少期のトラウマに限定される「DTD」、
思春期以降のトラウマを含む「複雑性PTSD」、
そして大人に多い単発的な「PTSD」
——これらの区別は曖昧にされてきました。



現在もDTDや複雑性PTSDは、
診断基準マニュアルDSMには認められていません。


さらに、DTDのように
脳神経や人格形成に影響を及ぼす
根深い症状の根本的な回復には、

従来の方法ではほとんど効果が期待できない
ことがわかっています。


それにもかかわらず、
副作用のリスクが高い処方薬による、
一時的に症状を抑える治療法は、
今なお変わっていません。


DTDは「複雑性PTSD」や
単発的な「PTSD」より回復が困難です。


そのため、
区別して治療法を考える必要性がある
ことを実感しています。

けれど問題はさらに根深く、
「DTDにも効果がある」と
研究で示されている治療法が、
「違法」とされてしまう点にあります。


こうした矛盾から、国家や医療業界の闇も浮かび上がります。


具体例として、
トラウマ研究を50年以上続けてきた第一人者
ベッセル・ヴァン・デア・コルク博士らは、

MDMAなどサイケデリックスを用いた心理療法を挙げています。


合法化している国や地域が増えている一方で、
サイケデリックスの一部の効果を取り出し、

薬品化しようとする製薬会社も現れるなど、
普及とともに本質から逸れる例も目立ちます。


さらに合法・非合法にかかわらず、
治療者による患者への性的加害事件も
国際問題になっています。


この問題は、患者の治療だけでなく、

性教育の普及や、法律の改正、
性犯罪者の更正など、

社会全体の課題も浮き彫りにします。


なので、
MDMAでトラウマ治療を安全に行うには、

合法な地域で、信頼できる治療者のもと、
品質が保証された環境が整っていることが
前提です。


とはいえ、
そのような環境に恵まれない人も実践できる、
トラウマケアの方法は、複数存在ます。


瞑想やヨガ、EMDR(安全な場所でトラウマの記憶を思い出しながら目を左右に動かす療法)などです。


合法・非合法にかかわらず、
抜本的なトラウマ治療に共通しているのは、

患者自身が「どれほど酷い経験を乗り越えてきたのか」という、自分への共感力を養うことです。


味方がいなくても、
自分だけは自分の味方であることに気づけたら

──自傷行為や自暴自棄さえ、
自分がどれほど辛い中で必死に生きてきたかの証であることに気付けるようになります。


自分の感情や感覚は、
誰がなんと言おうと確かに存在し、
価値があるのだ、と。


過去の私は
「癒しの中心にあるのは、
自分自身への深い共感です」と言われても、
「癒しって?」「自分って?」「共感って?」
といちいち理解できませんでした。


苦しみながら、
少しづつ理解できるようになりました。


それは、幼少期のトラウマを抱えた後の回復は
非常に厳しい道のりだけど、不可能ではない
という小さな証明。


ですが「回復が終わるという幻想」を信じると
痛い目にあうことも嫌というほど経験済みです。


命がある限り、
トラウマケアに取り組まずにいられない。


でもほんの少し楽になるために、
無限倍の苦しみが伴う。

周囲も傷つけてしまう。


だからこそ、私は安楽死を切望しています。


精神障害者の不自由さ脳神経への損傷
ぱっと見では分からないからと言って、

身体障害者より軽く扱うのは
人権侵害です。


この憤りがある限り、
私にとって完治はありません。

✍️pneumalogueの3本柱

pneumalogueは以下の3つの柱からできています:

👣①自伝/虐待児の生い立ち

幼少期から成人後まで続いた虐待やネグレクト、
さまざまな精神障害やトラウマ治療、
人生を変えた本などを
遺書的自伝『犯免狂子』で振り返ります。

📓②日記/発達性トラウマ障害の日常

発達性トラウマ障害(DTD)を抱えて
日々どのように過ごしているのかを
日記にしています。

💡③啓発/子どもを生贄にしない社会

映画や本、社会のあり方を通じて、
児童性 的 虐 待や、発達性トラウマ障害を
啓発し・防止・軽減するために
ブログ記事に書いています。

⚠️ご注意① トラウマの喚起

当ブログpneumalogueでは、
幼少期のトラウマ体験やトラウマ症状を扱っています。

そのため、ご覧いただく内容によっては、
過去の記憶や感情が強く揺さぶられる可能性があります。

「トラウマ注意」表記は
記事に付けておりません。

ですので、閲覧の際には、
ご自身の心身の状態に無理のない範囲で
ご覧くださるよう、ご留意ください。

❤️‍🩹ご注意② 治療の体験談

私は、自分が体験したトラウマ治療を、
他人におすすめつもりはありません。

私にとって画期的な体験であっても、
条件が揃わなければ、
最悪な経験になっていた可能性は
どの治療法にもあります。

また、私が体験した治療法の中には、
ある場所では伝統的な療法であっても、
別の場所では違法薬物扱いになることも
珍しくありません。

合法・非合法という位置付けも、
時代や地域によって一転二転、
三転することもあり、
世界規模で目まぐるしく変化しています。

さらに合法・非合法にかかわらず、
使用方法や目的を誤ったり、
品質が十分でなければ、
危険な目に遭うことがあります。

「海外で話題の治療法」にも闇があり、
犠牲者が出ることがあります。

どのような状況で被害が起こるのか、
体験談から学び、慎重になることが重要です。

評判のよい治療法でも、過信は禁物です。
焦らず、入念に下調べをして
リスクを回避することが大切です。

一次情報の質と量は、
自分を守る盾になります。

ただし、最終的に自分に合うかどうかは、
試してみないと誰にも分からない領域です。

合言葉は
「慎重に、少しずつ、安心を優先に」。

🔥ご注意③ 怒りの言葉

文章の端々に、
怒りや憎しみが感じられるかもしれません。

私自身もその強さに戸惑うことがあるほどです。

なぜこのような語り口になるのか、
どのように受け止めているのかについて、
少し説明させてください。

私は小さい頃から何十年もの間、
両親や社会の偽善に対する深い悲しみを、
他の人格の力を借りながら、
事実上ひとりで抱えてきました。

心の中に封印された悲しみが蓄積され、
怒りという形であふれ出すようになりました。

社会の変化は遅いので、
構造的な裏切りに直面するたびに
悲しみが蓄積されるので、
死ねる日まで続くと想像します。

この悲しみを言葉にしていくこと、
怒りも少しずつ和らいでいくことを願っています。

何度も文章を読み返しては、
自分の傲慢さや未熟さに恥ずかしくなり、
編集したり、非公開にしたり、
時には削除してしまうこともありました。

怒りの言葉があふれ出すスピードの方が早く、
修正が追いつかないときは、
一括で全削除したり、
アカウントごと削してしまったこともあります。

でも後から「すべては消さなくてもよかった」
と後悔することが増えています。

最近は、「まずは膿を出すように、
言葉を外に出すことの方が大切」
と考えるようになりました。

完璧主義な私にとっては、異例の選択ですが、
あえて品質よりも量を優先しています。

書いた直後から「不十分だ」「未熟だ」
と責めてしまう自分もいますが、
未完成なままでも言葉を発することが、
今の私にとっての大事な練習です。

このブログは、
私にとって”生き物”のようなものです。

いまの言葉が未完成でも、
発信を続けていくなかで意識を深め、
それを感情や行動にもつなげていく。

どうか、温かい目で見守ってください。

📜仕事への姿勢

10歳からアルバイトを始めました。

子どもというだけで
体も気持ちも軽んじられるのが耐えられず、
早く大人になりたい一心でした。

「大人」とは、
家の外でも働く人だと捉えた私は、
父親の経営する店で、学校のない日曜日に
朝から晩まで働き始めました。

情緒不安定な母親がわかりやすい暴力で
支配する家庭にいるよりも、
性的加害をした父親と過ごす方が
安全だと感じていたのは、
その体験を「悪夢」として処理していたからだと思います。

20代でやっと実家から脱出し、
祖国・日本を拠点にし、

学費と生活費は貯金や、アルバイトの掛け持ち、
通訳としての個人授業主を開業するなとで賄いました。

大学を卒業した後も、世界中でさまざまな仕事を経験しました。

30代後半には、
幼少期から積み重ねられたトラウマ経験の否定が限界に達し、発達性トラウマ障害と複雑性PTSDの症状が激化。

働き盛りの時期に燃え尽きてしまいました。

40代手前で、
人生で初めて落ち着ける部屋を見つけましたが、それはシェアハウスの一室。

対人ストレスと折り合いをつけながら、
引きこもり生活を続けています。

2025年には貯金が尽き、
無縁だと思っていた生活保護
受給することになりました。

収入を得ていないことに対する自責は、
『働かないアリには意義がある』という本で和らぎました。

収入がないだけで、執筆は毎日(生理中以外)しています。

今もなお、
日々襲いかかるトラ ウマ症状と向き合いながら、自伝『犯免狂子はんめんきょうし』をとブログを執筆中。

これまで携わってきた職種の中には、
公表をためらうものもあるため、
表現を慎重に模索しています。

スイスでの安楽死には約300万円必要で、
その資金をどう確保するかも課題です。

性 被害を啓発・防止することを主題とするブログは、
広告収入が難しいという現実にも直面しています。

性 的対象化を助長する広告は
氾濫しているにもかかわらず、
被害当事者の声は収益化されにくいという矛盾です。

それを乗り越えるためにも、
X(旧Twitter)@pneumalogueでの発信にも挑戦しています。

🎬人生のあらまし

4歳〜:父の猥褻+母の体罰×恵まれた環境

真夜中に目が覚めたら父親から猥褻を受けており、抵抗し逃げたが、母親から翌朝「お父さんからめごめごしてもらったんだって?よかったねぇ」と抱きしめられる。

両親の寝室で寝るのは体調がすぐれない時だけになり、必ず母親を間に挟んでベッドの端っこに入ったが、暗闇の中、瞼の裏に映像が流れ、目を開けてしまう。またあの悪夢かとウンザリしていると「悪夢ならなんで前みたいにふたりの間で寝ないの?」と挑発的な声が聞こえてくる。意識を逸らそうと苦戦しているうちに両親の寝息に気づき我に返る。

ある時を境に過保護・過干渉な母親から「躾」として体罰や罵倒が始まる。

物心つく前からよく手伝っていたという家事と炊事。変わり映えのない日々の記憶は少ないが、時計や九九が理解できなかった時や、遊ぶことを求めるなど意思表示するとビンタに説教をされた記憶は鮮明。

子どもという理由で話を聞いてもらえず、早く大人になりたくて10歳からバイトを始め、ワーカホリックの卵が孵る。成長につれ母からは嫌味や無視なども加わるが、労働時間に制限かけられたことは一度もない。

育った地域や食生活は、恵まれている方であるという自負があったし、同級生たちの典型的な機能不全家族に比べたら、自分の人生は平凡すぎて語るには及ばないと思っていた。

一方で家から永久に離れるために、どの道自由には使わせてもらえないバイト代を貯金しつつ、大人として扱われるかもという下心から家賃も自主的に入れていたが無念に終わった。

(思い返すと解離性健忘、フラッシュバック、幻聴、躁鬱、過食症、精神的な薬物依存、無自覚な自傷行為、トラウマの再演など他にも様々な複雑性PTSD症状が発症していた)

22歳:日系人アイデンティティ倒壊→永久の家出

当時ニューヨーク・タイムズベストセラーだった『ザ・レイプ・オブ・南京:第二次世界大戦の忘れられたホロコースト』を読み、日本の加害者としての歴史の詳細を初めて知り衝撃を受けた。両親や日本語学校の友人から強要されていた日本人としてのアイデンティティが倒壊。

日本の隠蔽された闇を知るために、東京の大学に編入(実家からの脱出も一石二鳥)。声の届きづらい様々なマイノリティを研究する。途中で自分も「女性」という弱者であることに気づくと同時に気付かなかったふりをした。

25歳〜:DV加害で精神異常を自覚→治療

彼氏へのDV加害がやめられず、母親そっくりな自分に衝撃を受ける。当初は女性ホルモンの周期が原因のPMDD(月経前不快気分障害)だと思っていた※ので、感情を安定させるために低用量ピルを飲み始めた。数年後に副作用(血栓症)で命を落としそうになる。以後、漢方や瞑想、古今東西の民間療法などの代替医療を試行錯誤。

※実際は既存の精神疾患(例:複雑性PTSD)が生理前から増悪するPME(月経前増悪)であると約10年後に発覚。

34歳:封印された怒り→性的虐待を自覚

田房永子著の『キレる私をやめたい』でゲシュタルトセラピーに出会い、母親への怒りに取り組もうとしたら、父親への怒りが封印されていたことに気づかされる。あくまで不確かな記憶として涙と鼻水を垂れ流しながら語った後「でも私は虐待を受けたとは思ってないんです」と弁解すると、心理士の目が点になり一瞬だけ絶句したのを見て自分の認識を見直す。

「私を溺愛しているだけ」と解釈していた父の言動を振り返ると猥褻以外の何物でもなかったが、成人になった後まで続いていて、それを私は本心では不快に思っていたことを認めざるを得なくなり、両親からの連絡を無視し始める。

セラピーで幼児期の自分(インナーチャイルド)と対話をし、私が責めてきた過去の自分が、私を守るために失敗しながらも、その時に得られた情報でベストを尽くしてくれたのだということに初めて気づく。

35歳:両親との対峙→絶縁

前向きに生きようとしても全てが裏目に出てしまう、自分のとは思えない人生に何度も絶望。スーザン・フォワード著の『毒になる親』のすすめで両親と個別に対峙を決意。

母には父から受けた猥褻の一部を初めて告白。顔を叩く行為も体罰だということを指摘した。父には初めての猥褻について問いただした。

両親はそれぞれ激しく動揺しつつ、完全に否定できない割には謝罪もなく、逆に私を責めてきたので、私は連絡手段をブロック。住民票閲覧制限もかけた。

父がしたことが性加害なら、私が弟にしてきたことも性加害や心理的虐待だという認識が強化され、弟に謝罪。弟は許すと言ってくれたが、私の自責の念は一生消せない。

40歳:性的虐待順応症候群→自己肯定

私がある男と「浮気した」と彼氏から責められ続け振られた。その主張への違和感を拭いきれなかった理由を掘り下げると、私が男から性被害を受けていたことを認めたくないため、男を無理やり好きになろうとしていたことを事件から5年後にやっと気づいた。

それは「性的虐待症候群」という防衛本能※であり、感情と言動と意識がバラバラに解離していたのも、男の暴力や社会からの二次被害(信じてもらえない・助けてもらえない)から自分を守ろうとしていたからだったと知る。

交際15年の彼氏は失ったが、引き換えに世界で自分だけが自分の味方だということに初めて気づいた。他人との結婚には元々興味なかったが、今はソロガミー(自分婚)という結婚観がしっくりきている。

※4F:ファイト(抵抗)・フライト(逃走)・フリーズ(硬直)が無効だったときに作動する4つ目のFに値するフォーン(媚びる)

🇨🇭安楽死まで

複雑性PTSDの好転反応さえ苦しまずには通れないため、症状は一生付き合うものとしてあらゆる精神治療を継続します。

子どもへの性的搾取を減らす試み(🧠知恵⚖️仕組みづくり🗣対話セラピー等のトラウマケア❤️‍🩹や日常的なセルフケアなど)を生きる糧にしています。

我が子に虐待してしまうリスクをゼロにし、不平等な力関係で発生してしまう暴力の連鎖を断つため、私は子どもを生まない・育てないと決めています。

人生の教訓は自伝的遺書『犯免狂子』にて更新中です。

現在進行形で困難は色々ありますが、私の約40年の人生で、今が一番マシです。

現在と未来は、過去よりも希望を持って生きれる。期待はしてないですが自信が持てているのが画期的な変化です。

こう感じることができたのは2019年5月両親と対峙し、彼らが私にしてきたことについての是非を問うたことが大きな転機となりました。

ずっと背負わされてきた十字架、重い荷物を持ち主たちに返したら、心が以前より軽くなり、視界にかかっていたモヤのようなものも薄まりました。

両親と対峙・絶交した後も、絶望的なことは幾度も起きています。新たな性被害や人間関係への支障などなど。

最終的にはスイスで安楽死をする予定で、このことを思い出すと鬱でもベッドから起き上がれたりします。

ただ私がこの世から足を洗える日が来た後も、子どもへの性加害自体が世界からなくなるとは思えないほど深刻な状況です。

そのことを考えたら、死にきれません。

今いる子どもや、これから生まれてくる子どもたちが性被害に遭わなくて済むような社会……性被害に遭ってしまっても、すぐに助けを求められるような社会に必要なのはどんなことだろうと四六時中考えては、行きどころのない感情や考えを言語化することで自分をどうにか保とうとしています。

侵略と強姦の歴史で富と名声を築いてきた人類が、最も破壊的な支配の手段としてシステム化してきた性的搾取に対して問題提起をし続けています。

「モノ」や「フィクションの世界」ではなかなか歯が立たない「性被害による精神的ダメージの現実」はもっと話題にする必要があると使命感に燃えてもやっぱり話しづらく、なんで私はこんな大変な役回りなんだろう?と理不尽に思うこともしばしば。

その理由を考え続けた末、思い当たる節は、古今東西の人々と比較すると自分は物質的な豊かさを圧倒的に経験できる境遇だということ。タダなことなどないとすれば、その対価は相当なものであるはず。

というのも、虐待を除けば、私は比較的に恵まれた環境で育ったのでした。

日本人の家庭で育てられながら、「自由の国」と言われる大国の世界都市で生まれ、東洋と西洋両方の教養や文化や知恵を自然と身につけてきました。

精神障害がなければ、私は世界を股にかけた職業で活躍し続け、経済的にも裕福な暮らしができるほどのスキルがあります。

今は闘病中のため収入がなく、先進国では貧困層ですが、それでも最低限の暮らしはできています。

私が最低限の暮らしを送るために、地球上にいる他の人々の精神的及び物質的豊かさを搾取するシステムの中で生きているからです。

搾取は先祖代々続いてきたことで、その罪業のツケが積もりに積もって、性被害による精神障害という形で、現代に生きる私に返ってきているのだと解釈しています。

生まれる前からのカルマを背負っていると考えないと、なぜ3、4歳そこらの純粋無垢な私が父親から猥褻を受け始め、社会の無関心のお陰で生涯苦しみ続けなくてはならないのか、説明つきません。実際、犯罪の温床は私が生まれる前から社会に作られていました。

身体的な苦しみのない安楽死を選択しても、死にきれないと思ってしまうのは、今はまだ利息の分を返せていないということなのかも、と考えます。

欲を満たすために命を搾取し続けても結局、自他を苦めているのだったら、今後は命が活かされる方法を編み出せということなのかと。

例えばそれは世界的に人口が爆発しているのに日本国内は少子高齢化だからという理由だけで育てるつもりもない命をいたずらに生むことではないかもしれませんし、無理してまで寿命まで生きるようとすることではないかもしれません。

答えは人それぞれですし、わからないことだらけ。ただ一つ、私が両親の虐待から学んで確信できることがあるとすれば、負の感情に蓋をして偽りの時間をやり過ごすより、負の感情であってもそれを肯定できる人生の方が健全だということです。

幸福の感度も違ってきます。

リアルの世界では語りづらい負の感情、少なくとも複雑な気持ちに溢れた自己紹介もできる場が必要です。

この場を借りてできたことに感謝しています。

🗣ぬぅまローグの意味(語源・想い)

古代ギリシャ語のpneuma(ぬぅま)とフランス語のlogue(ローグ)を組み合わせて創造した活動名の意味やそれに込められた想いを話してみます。

pneumaは、動詞の「吹く」が語源で、「風」「空気」「息」などを意味し、ギリシア哲学では「存在の原理」「呼吸」「生命」「力」「エネルギー」「精神」「超自然的な存在」さらには「善の天使」「悪魔」「悪霊」「聖霊」などという意味にも捉えられるようです。私は「精神」という意味がしっくりきます。

日本語ではプネウマと表記されているのを見かけますが、正しい発音はヌゥマです。

pを発音しないなんて不思議ですよね。psychology(心理学)やpsyche(精神)など他にもありますが、古代ギリシャ語が語源であることが多いです。

-logueは「談話」「言葉」を意味し、ギリシャ語の「logos(言葉・理由)から派生したもの。

prologue(序章), dialogue(対話),  monologue(独白・独り言), epilogue(終章)などに使われる接尾辞です。

私は命や精神に深く関わる「性」について言語化するうえで、その真理はなにかと考えた時、一言で表す難しさに直面します。

「心」が「生れる」と書く「性」ですが、性的な言動で人の心身を深く傷つけ、死に追いやることもあります。

表裏一体と言ったらそれまでですが「性」には両極端なイメージを受けます。

それはタブー扱いされ話題にすることさえ難しいために、言語化が進んでおらず複雑なだけに単純化されてしまうことと関係していると思います。

一方、「Body(体)」の中に「Soul, Psyche(魂, 心)」があり、その核に「Pneuma・Spirit(氣・精神)」があると考えられているように、「性」や心が生まれる前に「氣」や「精神」があります。

氣や精神を意味するPneumaは存在の核心部分にあり、心身を動かすもので、体や心が死んでも後世に受け継がれます。

蔑ろにされやすくとも、性的な課題は存在するものとして、対話し続けることが大切だという精神、想いが込められています。

つい感情的になって絶望して言葉を失って自暴自棄になり即死を切望しまう自分への戒めとも言えます。

ぬぅまローグは、タブー扱いされる「性」の課題について語り続ける私のモノローグ(独り言)がいつかあなたとのダイアローグ(対話)となり、性犯罪で繁栄してきた社会のエピローグ(終章)に繋なげ、性的に健全な社会のプロローグ(序章)が進むことを望んでいます。

📕老若男女にオススメな【性教育の絵本】

うみとりくのからだのはなし』遠見才希子作

https://note.com/embed/notes/n36fd97725139

📚遺書的自伝 『犯免狂子』

(更新中・約70,000字)

https://note.com/embed/notes/n3f493c010c1f

🦉まとめ(プロフィール)

心生ぬぅま(通称:ぬぅま)
・発達性トラウマ障害(DTD)
・近親姦サバイバー
・児童性的加害(CSA)啓発者
・ソロガミスト(自分自身を伴侶とする生き方)
・反出生主義(子どもを作ることの倫理を考える)
・安楽死擁護者(精神障害者の尊厳死を支持)
・コスモポリタン(国際人)、
・美食家

読んでくださり、ありがとうございます✧

ぬぅまローグ (pneumalogue)の
pneuma(ぬぅま)より


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