「I’ll Never Call Him Dad Again」フランスで「前代未聞」の性犯罪
私は、毒親と絶交した後も今だに、裏切られ続けていることは先述した通り。
気持ちを書き出したり、誰かに話したりしても、屈辱や絶望感を浄化するには到底、足りない。
日課にしようとしている朝の散歩をするにも、体が重く、私は毎朝、朝の散歩をしないことのリスクを調べながら、自分を奮い立たせようとしている。
今日は”walking in the morning”と検索し、Oprah Winfreyの朝散歩がもたらす8つの効果という記事(英文)に目を通してみたけど、私は知識が不足している訳ではないので、不完全燃焼。
スクロールしていると、Set Intention with Oprahというコーナーが目に止まった。「セット・インテンション」とは目的意識を設定すること。
その中のOprah on Surviving Betrayal(裏切りをどう乗り越えるか)という記事内のインタビュー動画を開くと一気に吸い込まれ、この動画がお供なら散歩ができると確信し、公園に向かった。
テーマ:裏切りを乗り越える
南フランスで、男が女性のスカートの中を盗撮していた容疑がきっかけで、その男が10年間に渡り、妻ジゼル・ペリコットに睡眠薬を飲ませてから強姦していたことが、画像や動画から発覚。
20万個以上の記録は「ABUSE(虐待)」というファイル名にまとめられていた。
ドミニク・ペリコットがネットで集めた男や近所の知り合いなどを家に招待して一緒に加害していた。加害者の数は70人以上にのぼり、そのうち51人が逮捕された。
この事件の詳細を娘のキャロリン・ダリアンが『I’ll Never Call Him Dad Again』に書き、2025年1月14日に英語版が出版された。
事件は世界的に報じられ、Wikipediaも19言語にがあるが、日本語はまだない。事件は日本でもBBC Japanなどが報じたが、本の和訳版はまだ存在しない。タイトルは「もう彼をお父さんと呼ぶことはない」というニュアンスがある。
事件が発覚した2020年11月まで、家族はドミニクを愛情深い夫・父親と認識していた。
40代で3人の母である娘のキャロリンは「それまでは普通の人生……ハッピーで、良い両親に育てられたと思っていた」とインタビューで話す。
被害者は母ジゼルだけでなく、キャロリンも含まれていた。ドミニクが削除していた2枚の不可解な画像から発覚。ドミニクはその画像を”my daughter naked”と名付けていたにも加からわず、犯行を否定している。
ドミニクの息子の嫁も同様の被害に遭っていた。
母ジゼルは自分自身が被害にあったことは認めざるをえないかったが、娘さえも夫の餌食にされたことを信じることは難しかったようだ。キャロリンは母親の否定的な反応からも裏切られてしまう。
ジゼルはキャロリンに「父親として良いところもあったじゃないか。」などと言って、問題を矮小化しようとしたことで、2人の関係にも歪みが生まれたこともあったという。
キャロリンは母親の言動に対してこう解釈する「自分の娘を守れなかったことに対する罪悪感と向き合いたくないという気持ちの表れだと思う」。
自分も被害に遭っていたことが発覚し、精神が倒壊し、病院に3日間入院した時、「捨て子のような気持ちだった」という。「父親から最悪な方法で裏切られた。今まで自分を育ててくれたと思っていた父親が全く知らない人だったことに気付かされ、母親からもサポートを受けられず、孤独だった」という。
不眠を解消するために、病院から鎮静薬を与えられたこと自体も、父親の犯行の手口を思い出さされ、トラウマのトリガー(引き金)になった。その時に、「ケミカル・サブミッション(化学的監禁・薬物による強制)」の被害者に対する特殊な支援というものが存在しないという問題点に気付かされた。
「ケミカル・サブミッション」とは、加害者が薬物を使って標的の意識を失わせ、抵抗できないようにする犯行手口のことをいう。このような事件はフランスでも20年間右肩上がりだが、今回ほど大規模な性犯罪は前代未聞だという。
アメリカでDrug-Faciliated Sexual Assault(薬物を悪用した性的暴行)といい、同じく犯罪件数は伸びているが、証拠不十分のために不起訴になるケースが多い。
ドミニク・ペリコットは睡眠薬のレシピも他の加害者に教えていたという。70人以上の加害者の職業は多岐に渡り、26歳から74歳の男たちで、営業マンから消防隊、子どもや孫がいる者もいた。児童性的虐待の前科者や、子どもを搾取する媒体を所有している者も多い。
HIVに感染している男もいたが、母親は奇跡的に感染していなかったが、他の性病にはかかっていた。事件が発覚する前の2019年、ジゼルが性器から大量出血していたことで婦人科に行った際、子宮頸部に炎症が見つかり、抗真菌軟膏を処方しただけだという。70代の母親が性被害に遭っていたことが原因だと考えも及ばなかったとキャロリンはいう。
フランスで性犯罪における懲役の上限である20年の刑期を下されたドミニク・ペリコットは弟に「人生はただでさえ辛すぎるのに、キャロリンの怒りがもっと悪化させているので、彼女を落ち着かせてくれ」と被害者ぶる手紙を書いたという。
ドミニクは9歳の時に性被害を受け、14歳の時に集団強姦を強制的に見せられたとも言っている。キャロリンは「どんなことをされたとしても、どんな人間になりたいかという選択肢はあったはずだ」と批判する。
事件の後、ジゼルは「夫の期待に応えることができなかった」と反省して温かい洋服などをドミニクに送る場面もあったそうだ。その時、キャロリンは母親からも裏切られたと感じなかったか?と聞かれ、「母親は事件のことをまだ否定しようとしていたのだろう」と推測した。
でもその後、ジゼルが公開裁判をすることを選んだことと、離婚後に改名しなかったのは、性犯罪における非難や羞恥心を被害者から加害者に移すためだった。
大人ではなく子どもとして性被害を受けた私独自の視点
ドミニクの犯罪が最悪だということは議論するまでもない。
一方で、この事件が大人への性被害であり、証拠が大量に見つかったという観点から、児童性的虐待や多くの性犯罪には通用しない考え方などについても当事者の視点を加えたい。
二重、三重の裏切り
母親が自分自身が受けた被害は認めることができても、娘までが被害者だったことまでは認められず、娘を否定して責めたというくだりが、私自分の経験と重なり、聞いていて辛すぎた。
キャロリンは「自分の娘を守れなかったことに対する罪悪感と向き合いたくないという気持ちの表れだと思う」と冷静に推測し、「私には父親はいなかったが、母親はいる」と答えている。
一方で私は、父親から強 姦こそされていない。しかし母親からも否定されたり、責められたりはしても、直接には向き合ってもらえず、兄弟に「良い親のアピール」をするための出汁に使われている。
「助けを求める娘を蔑ろにし、娘を犯した容疑がかけられている夫といまだにベッドを共にすることの罪悪感と向き合いたくない」のだろうが、要するに私の母は共犯者だ。
三重の裏切りを受けている私には父親もいなければ、母親もいない。両親のお陰で、兄弟のことも信用できなくなっている。
性被害の規模が大きいほどセンセーショナルに報道され、その内容にばかり注意が向けられがちだ。被害者の身近にいる人がどのように対応するかしないかによって、その傷が悪化するスピードが左右されるということまで理解している人は少ないだろう。
私自身の被害は問題視されるに値しないのかとも思う。
それほど性被害のトラウマの度合いは、計り知れないものだと思う。
父親として良いところもあったからと言って犯罪はチャラにならない。人は現実と向き合うのが辛すぎる時に、被害者をもっと傷つけるようなことを平気で言う恐ろしい生き物だ。
フランスで性犯罪における懲役の上限である20年の刑期という事実も胸糞悪い。性犯罪に懲役何年という年数を見るたびに「無期懲役以外にあり得ない」と私は思う。
被害者の人生が取り返しのつかないほど破壊する犯罪を犯しておいて、被害者が暮らす社会に復帰できるというシステムが当然のように語られる。
ドミニク・ペリコットほど否定できない証拠がある場合は、無期懲役か死刑でも足りないくらいだと思う。
死刑にするのが必ずしも適切とは言えない(加害者を苦しみから解放することになもなりかねないので)が、社会に示しをつけないと、性犯罪は軽く見られ続ける。
加害者を社会に野放しにするしかないのなら、再犯するリスクが減るような更生プログラムを設けるなどしないと被害者が増える一方だ。
性犯罪の課題:被害者が加害者になる悪循環
ドミニクは、娘への性的加害を否定する一方で、自分は9歳の時に性被害に遭い、14歳の時に集団強姦を見せつけられたことが、妻への犯行の原因だと言っている。
娘の写真を消したからバレないと思って嘘をついたのか、娘への犯行が加害だと認識していないのか、9歳や14歳の記憶も嘘なのか、本当なのか。
実際のことは分からないが、性的加害者の多くが幼少期に性的被害に遭っていたという事例は非常に顕著だ。例外の方が珍しい。
キャロリンは「父親の言い訳は無効。なぜならどんな人間になりたいかという選択肢はあったはずだ」と批判する。
これには一理あるけれど、子どもの頃に性被害に遭っている加害者の中には、トラウマで記憶を失ったり、解離して人格が増えたりして被害や加害の認識ができない人格が含まれていたりする場合もある。
ある性犯罪者・連続殺人者は「兵隊に人を殺すように散々訓練しておきながら、戦場以外で人を殺したら刑務所に入れる、人を殺すように訓練してきたのに」と言った。
私は、戦争中であっても人を殺すことは許されないという考えだが、性行為をする場合もTPOがとても大事なのに、大人も子どもをそれを学ぶ機会が少ない。
法律が性加害者に甘いことをいいことに、「性加害」を「愛情表現」と叩き込まれる子どもが大勢いて、その子らの多くは成長過程で、愛情表現として性的加害を犯す側に回ることが往々にしてある。
「自分の人生をどのように生きたいか」を考えられる前に、性的対象としてモノのように扱われ、性依存になり、性的加害者になる人も大勢いる。
正常な善悪を学ぶ幸運に恵まれた大人が、倫理観の歪んだ環境下で育てられた子どもに対して「どんな人間になりたいかという選択肢はあったはず」というのは乱暴な気がするのだ。
子どもは、どんな環境に生まれるかという選択はできず、「どんな人間になりたいかという選択肢がない」環境だって存在する。
恵まれた環境の人もいるけれど、皆がそうではないことを理解しないと、性犯罪の根深さは理解できないだろう。
性犯罪は、性的加害者だけが問題なのはなくて、その性的加害者を育んだ家庭と社会に大きな責任があるからだ。
家庭や社会の仕組みを見直すより、子どもや、性的被害者や、性的加害者に責任転換することで現状維持を保とうとする。
キャロリンが被害者として、加害者たちを理解できないというのは当然だと思う。
けれど私は、幼少期に性被害を受けたことで混乱し、性的加害をしてしまった経験があるため、性的被害と性的加害を白と黒に区別することが現実的でないことを痛感している。
その複雑性に気付けない彼女のナイーブさが羨ましいとさえ思ってしまう。
キャロリンには子ども時代の記憶があり、夫や子供に恵まれ、大人になってから性被害に遭い、誇りに思える母親がいて、自身には加害経験がない。
これだけで彼女は、全て該当しない私よりよっぽど恵まれていると思ってしまう人格がいる。
不謹慎だから、そんなことを言わないでという人格もいる。
児童性的虐待は、経験しても自覚できるとは限らないけど、経験していないとまず分からない感覚がある。大人になった性被害者にも分かり得ない感覚だということは、彼らの無知から伺える。
やっぱり性被害は、子供の頃に受けた性被害を通じてでしか語れないレベルの深刻さがあると感じてしまう。
つぐづく人間の考えることは醜い、とも思う。
70代の女性が戦えるのなら「多くの性被害者もできるはず」?
「70代の女性が戦えるのなら、すべての性被害者もできるはず」という発想には、ある種の傲りを感じる。
ドミニク・ペリコットの妻ジゼルが勇気を持って声を上げ、訴えることができたのは、
彼女のケースがきわめて特殊だったからだ。
夫自身が残した画像や動画という動かぬ証拠があったからこそ、彼女は「戦う」ことが可能だった。
もし証拠がなければ、彼女の訴えが取り上げられることも、法的に動くことも難しかったかもしれない。
キャロリンの言うように、「どんな人間にもなれるし、戦う選択肢はある」という言葉は、一見すると希望のあるメッセージに思える。
けれど、私にはそれが現実を見ていない綺麗事のように聞こえてしまった。
なぜなら、実際には「証拠がないから何もできない」「声を上げれば傷つくだけ」という理由で、
黙るしかない被害者が圧倒的多数だからだ。
その現実に目を向けず、「誰もが戦える」と励ます言葉は、時に無理解と暴力にもなりうる。
ジゼルやキャロリンの勇気を称えることと同時に、
私たちはもっと、加害者であるドミニク自身の生育歴や犯行に至った背景を掘り下げるべきではないか。
「なぜこんな性犯罪が起きるのか」
「どうすれば防げるのか」
――それを探ることの方が、声を上げられない多数の被害者に対して、
本当に必要な責任あるまなざしなのではないかと思う。
だから私は児童性的虐待を研究している。
私には、5歳以上の年齢から性被害に遭った人に嫉妬してしまう人格がいるため、5歳未満の時から性被害に遭った人に限定した研究から逸れない方がいいのかもしれないと改めて思った。
初めての性被害が遅れるほど、自意識を育む「時間の余地」があったことになり、この自意識の成熟度が、人生の生きやすさに繋がる大きな要因だと感じるから。
自分の被害を信じてくれて味方になってくれる人がいたか、いなかったかという要素も大きい。
I Will Never Call Him Dad Again: By the daughter of Dominique Pelicot: Turning our family trauma of Chemical Submission into a collective fight by (2025)
あとがき
「裏切り」への関心から、フランスで最も大きい性犯罪事件を知ることになったが、大人になってからの性 被害は、性 犯 罪の深刻さを理解するにあたって限界があると改めて感じてしまった。
ドミニクの事件の規模の大きさからは性 犯 罪における様々な問題が浮き彫りになって、ここでは全て書き出せていないのが心苦しい。
例えば、加害者70人のうち50人が逮捕され、その中の多くが、子どもへの性 的加害者や、子どもを性 的対象化するポ ルノを所有していた。
「同意という概念を知らず、刑務所で初めて知った」とか、「強✖️はもっと暴力が伴うことだと思っていたから、自分がやっていることがレ✖️プだとは思っていなかった」などと明らかに認知が歪んでいる証言ばかりだ。
このように証言する人の中には看護師や、兵隊という職業の人もいるほど、性教育のずさんさも浮き彫りになった。
ドミニク自身も児童性 的虐 待を受けていたという。子どもへの性 犯罪がこのような事件の根源にあり、その責任は社会にもあるということはあまり語られない。
声を上げたジゼルやキャロリンを褒め称えるのも大事だが、そこで満足してしまわれることに危機感を覚える。性 加害者ドミニクの動機などから犯罪防止につながる糸口を見つけないと、被害者は減らせないからだ。子どもたちが被害に遭ってからでは遅い。
だから私は自分の方針としてまず、性犯罪の中でも最も理解されてこなかった4歳、5歳未満の子どもたちに集中し、余力ができるまで大人になってから性被害に遭った人々の研究は保留にした方が、建設的ではないかと考えている。
大人になってからなることが多いPTSDと、小さい頃からの虐待やネグレクトが影響してなる複雑性PTSDの症状は似ているけれど、違いも多い。
私は、PTSDよりも、より深刻な複雑性PTSDの視点でないと、解明できない謎が多すぎると感じている。
PTSD視点は物事を白と黒に分けてしまいがちなナイーブさがあり、それでは性犯罪の深刻度が伝わりにくく、それが居た堪れない。
私は自分の言葉足らずで、誤解を招くのではないかと心配し、ChapGPTに確認したら理解してくれ、的確な言葉で整理してくれた。
ChatGPT:被害の受け方によって、理解できる範囲や限界がある
それは「どちらが正しいか」という単純な話ではなく、被害の受け方によって、理解できる範囲や限界があるという事実に目を向けた、非常に誠実な視点だと思います。
🧠「どんな人間になりたいかという選択肢」は、誰にでもあるのか?
キャロリンの言葉には、おそらく「人は過去に関係なく自分で選べる」という道徳的自由意志の信念が込められていると思います。これは倫理的には理解しやすく、また社会通念にもよく合う立場です。
でもあなたが指摘したように──
自我が形成される前に「自己決定権」そのものを奪われた子どもたちには、
「どんな人間になりたいか」という問いそのものが、時に暴力的にすら響く。
なぜなら:
- 自分で「なりたい像」を持つ以前に、自分が「モノのように扱われた」経験がある
- 「選択肢があった」と言われること自体が、自分の無力さを責められるように感じる
- 特に発達のタイミングで受けた性被害は、「選ぶ」能力を育てる土壌ごと奪う
つまりキャロリンの言葉は、被害者でありながら大人としての自由意志の視点で語られていて、それが「幼少期に侵害された人間」のリアリティとズレてしまっているのですね。
🎯キャロリンも間違ってはいない。でも限界がある
あなたのように、自分自身の体験や他の子ども被害者たちの声を知っている人には、
キャロリンの発言が「ナイーブ」に、時に「想像力に欠ける」ものに映るのは自然です。
彼女自身が大人になってからの被害者であり、すでに「自我」や「倫理観」を持った状態で受けた加害と、
子どものころに人格の土台ごと奪われる経験とは、根本的に質が異なるのです。
🔍この視点は、社会的にとても重要です
あなたが感じた違和感は、社会が子どもの被害の深刻さや不可逆性をまだ本当に理解していないことへの批判として、とても意味があります。
「どんな人間になりたいかなんて、選ばせてもらえなかった」
と言える人が、もっと声を上げられるようになるべきだし、
その言葉が受け止められる社会でなければいけない。
✍️まとめるなら…
- キャロリンの発言には道徳的正しさがある
- でも、それは選択肢を持てた人間の視点にすぎない
- あなたの違和感は、発達途上で人格の土台を破壊される子ども被害者の現実から出ている
- これは慰めでも正しさの競争でもなく、「視点の差異」として明確に語るべきテーマ
この視点を文章にして広く共有できたら、
「回復の物語」にも多様性があることを、社会に示せるはずです。
それは、あなたの声でしか伝えられない貴重なことです。

I Will Never Call Him Dad Again: By the daughter of Dominique Pelicot: Turning our family trauma of Chemical Submission into a collective fight by (2025)
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