🍄DAY1 (1回目)
事前の状態
✔︎体:生理は終了、月経周期6日目。
✔︎心:自殺願望は持続。
目的(インテンション)
死ねる時までの苦しみが最小限になるよう、今できることを少しづつ始める。
思考回路
絶望からμドージング再開までの思考回路
トラウマ研究の第一人者ベッセル・ヴァン・デア・コルク博士の著書『The Body Keeps the Score(和訳:身体はトラウマを記憶する)』の音声(英語のみ)やインタビュー動画を聴きながら、
死ねる時までの苦しみが最小限になるよう、今できることはなんだろうと考えた末、意 姥 我のμドージングの再開を思いついた。
でも朝一にテルミン(味噌汁)を飲んでしまったので、明日まで延期することを検討。
でもせっかく生理が終わり(新しいことに挑戦するのに適している時期)、現状から打破したい気持ちが極まっていたため、手頃な死 路 斎 便から始めることにし、意 姥 我は保留に。
冷凍保管していたものの2018年製造から7年経過しているため、効果に不安がある。
自分の宝の持ち腐れ癖を反省するも、精神的に解放されると同時に身柄の自由を奪われることへの恐怖の表れであるため仕方ない。
絶望していると、どんな知識を持っていてもそれを活かせないままだけど、
死への切望は、私の発想をも自由にしてくれる。
行動
7:00 味噌汁
8:30 25mg
9:30 1時間経過。変化は特になし。
10:00 床掃除、洗濯。
10:30 2時間経過。ピーク時だが変化は特にない。
11:30 3時間経過。10mg追加。大きな変化を感じなかったため。
12:30 4時間経過。10mg追加。昼食のため、最後の追加。
14:00 シャワー→昼食
15:00-17:00 →追加分のピーク予定。
17:00-19:00 →着地予定。散歩30分。
事後の観察
8:30~12:30
微量すぎるのか、経年劣化しているのか、味噌汁を先に食べたからなのか、影響は特に感じられない。
μドージングでは知覚的でないレベルに控えることが肝なので、「変化を感じない」ことはむしろ良いことなのだけど、
セルフヒーリングにおいては不確かな要素が多すぎるのが難点ではある。
だからこそ、①超微量を意識しながら、②普段のスケジュールが乱れないタイミングを守ることが大事。
しかし、これもプラシーボ効果になるのか、しばらく封印していたμドージングを再開することを決めたことで、実証済みの効果を再び得られるという期待で、気持ちは既に前向き。
経済的な搾取のために、人々の苦しみを増殖させ、回復という幻想で荒稼ぎする社会の構図を理解している私は、正規ルートでは助からないということを熟知している。
でも苦しみから解放される非正規ルートは公になっていて、私もその効果を実感している。
これをやり尽くさずに、無駄にもがくのも、おかしい話だ。
絶望の先には何もないように感じられるけど、行き止まりに着いたら、引き返して他の道を探ればいい。
アメリカ連邦政府は、人を苦しみから解放する方法の研究に資金を注ぎ込んできたが、いざ立証されると禁止にした。
禁止にするほど経済や利権的に困るということは、その方法が効果的であることは「お墨付き」ということ。
私は、苦しみから解放されたら、その方法をより多くの人に伝えないではいられなくなる。これまで何度も、言葉を紡いでは、非公開にしてきた。
効果的に伝えられたら、自分の身柄の自由が奪われる可能性が高まる。
だから、しばらく封印していたのだけど、私は自由が奪われることを心配している場合じゃない。時間も気力もない。
少しでも楽に死ぬために、処分しておかないとならないことの一つなので、さっさとやってしまおう。
これも立派な身辺整理、終活、デス活だ。
12:30~14:00
今後の計画。
✔︎生理直後〜排卵期までの1週間、3日起きにμドース(計3回)
◎ホルモンバランスが安定して、副作用や感情の波も穏やかになりやすいので、恩恵を感じやすい。
◎次の生理直後まで約3週間あり、休憩期間を自然に設けることができる(耐性がつかない)。
体調や気分の変化を観察しながらゆっくり続けよう。
14:00~18:30
昼食前に、シャワーを浴びる。
トラウマが原因でシャワーができないという思考パターンを変え、成功体験を増やす。
こう宣言してから、シャワーを浴びた。
2日連続でシャワーを浴びることができた。
今回はテルミンが多い発酵食品も問題ないので、
スイカの皮とパプリカの糠漬け、目玉焼き、納豆、キムチ丼と一番海苔を頂いた。
午後に成し遂げたいこと:歩く。
できれば生理中に休んでいた朝の散歩の分まで。
昼食の後は、さっきまで冴えていた頭が一気に鈍くなった。
ひたすら、ベッセル氏のインタビューを聞きながら、ブログの設定をいじったりしていた。
18:30~19:00
今日の振り返りをしたくなり、電話相談員にかけた。
すぐ繋がったので、ついでに近所を歩いた。気温が下がっていて、夜風が肌に当たり心地よかった。
黙って歩くことへのモチベーションは湧かないのに、喋りながらといくらでも歩ける。
話すという即効性のあるストレス発散ができるなら、歩くことも苦にならない。
吐き出したいことがあり過ぎて、それが毒として体内に溜まって、歩く気力さえも奪っていると言っても過言じゃない。
でも20分しか聞いてもらえないので、あっという間だ。だから事前に「質問やアドバイスは控えてください」と毎回お願いしている。
なのに最後、電話相談員から余計なことを言われた。
「聞いていて心配になりました」
今度から、事前に「感想も不要です」と付け加えないとならないのか。
急に、自分の話(社会の光と闇)が、近所の人の耳に届いて変な誤解を招き、通報されるなどして、自分が不利な状況に陥るのではないかという不安感に襲われ、私は足早に家に帰って、暗くて空気の澱んだ自室のドアを閉めた。
この時の気持ちは別の記事に書いた。
引き続き、ベッセル氏の動画を聞き続けた。トラウマ研究を50年以上続けている彼がトラウマに効果的と感じる治療法の中で、度々EMDRを持ち出すので、独学を始めた。
EMDRとは、安全な環境でトラウマとなる記憶を思い出しながら、目を左右に動かすことで脳内の情報処理を活性化し、その記憶に伴う負の感情を和らげる方法だ。
EMDRの個人的な体験と独学を始めた経緯は別の記事に書いた。
小さな成功体験
💮μドージング再開(今後1週間「自己観察」という楽しみができた)
💮シャワーを浴びれた(気持ち悪さから意識を逸らさず、昼食というご褒美を利用)
💮30分歩いた(電話相談しながらだとスムーズ)
DAY2(中休み)
昨日受けた影響を定着させ、耐性がつかないようにする。そのために、翌日と翌々日は中休みを2日以上設けるというのが、μドージングの基本的なプロトコール(手順)。
自己観察はストイックに続ける。
行動
6:00 起床
7:00 郵便受けまで歩いて、朝食にスープ
7:30 執筆
9:00~9:30 電話相談と散歩をセットで行う
9:30~12:00 執筆
12:00~ 昼食、そうめん
18:00~19:00 スーパー買い物
午前中の状態
✔︎体:慢性的な首こり(これ治るのだろうか)
✔︎心:μドージングを優先しているため、自殺願望は後回し。朝の散歩は相変わらず面倒
無言で歩くのはどうにも億劫だ。
そこで「話しながらだと歩ける」という自分の習性を活かし、電話相談を利用する。
営業開始の9時直前から家を出て、9時ぴったりに電話をかける。そうすればつながる確率が高い。
つながったらまず、「質問、アドバイス、感想は不要で、話しっぱなしになってしまいますが、差し支えないですか?」と伝えてから、20分以内に話し切る。
今回は、昨夜相談員から言われた「心配」という言葉に対する嫌悪感を話した。
昨日の相談員には直接言えなかった苦情を、今朝別の相談員に話せたことで、新たに受けた毒とともに古い毒も少しは吐き出せた、気がする。
その後、この話を別の記事に書いた。
午後の状態
慢性首こりの揉みすぎなのか、疲労感が溜まっていて、ベッドに横たわり、動画を見ながらブログを書いていた。
トラウマに一番効くのは笑出会夢恵と立証されているのだから、他のものをμドースするより、こちらを優先した方が良いかもしれないと思い始めている。
私は何を躊躇しているんだっけ。
本当にそれで自分が変われたら、その効果について黙ってはいられなくなって、目をつけられ、自由がなくなるかもしれないという不安だ。
人類三大タブーの被害者が助かろうとするために最善策を試すことさえ罪。世はどこまで弱い者を苦しめれば気が済むんだろう。死ぬことだって容易じゃない。八方塞がりとはこのことだ。
小さな成功体験
💮電話相談しながら30分歩けた。
💮「EMDRの独学を始めた」記事と、「心配という言葉の偽善について」の記事を投稿。情報を詰めすぎない訓練として1記事1メッセージを意識した。
💮夕方、スーパーに行けた。出かけるまで億劫だったけど、食糧が底をついていたため行くしかないと思えた。
DAY3(中休み)
行動の記録は面倒で、やめた。
次回からμドージング当日のみ行動の記録をすることにした。
小さな成功体験
💮朝、自分の声を録音しながら30分歩けた。「発達性トラウマ障害」という概念に救われた話。
💮「発達性トラウマ障害」とは? 子どもの頃から続くトラウマの影響」というハブ記事を書き始めた。
💮夜、電話相談しながら30分歩けた。医療業界の光と闇について吐露。
思考と行動の変化「トラウマ後の成長」
今日は一日中、発達性トラウマ障害(DTD)についてのブログ記事を書いていた。
私はブログで、児童性的虐待(CSA)の啓発をしたかったが、日々トラウマ症状の対処をしていると、建設的なことを書く気力がないのが現実だ。
せいぜい書けたとして、生きることがどれほど煩わしく、馬鹿馬鹿しいとおもってしまうかという、愚痴ばかりの日記になってしまう。
CSAサバイバーが日常的にトラウマに如何に悩まされているかという研究対象として誰かの役に立てばいいけど。
自分のガス抜きにしかなっていないのも、なんだか虚しい(「それでいい!」と思ないことがそもそも自己肯定感の低さの現れ)。
そこで、CSA啓発という、今の私には高すぎる志を一旦保留にしようと思う。
代わりに、自分のトラウマケアに全集中する。
私のトラウマはCSAによるものだから、無関係ではないし、間接的には役立つはずだ。
そう思えたのも「発達性トラウマ障害」という概念を知り、自分の状態を適切に言い表してくれているため、本質的なアイデンティティと感じられている。
安心感のようなものがある。
やっと自分にも的確な肩書きができたような。
というのも、「児童性的虐待当事者」は事実であっても、言いたくなかった。
この言葉そのものがトラウマの引き金になっていた部分もある。
それは「誰にも言えない」という沈黙を強いられ続ける感覚。
「複雑性PTSD」も、元皇室の方が診断されたことで認知度は上がったかもしれないが、「同類」と誤解されるのは心外という気持ちの方が募っていた。
でも、DTDは、性被害に限定されないから抵抗はないし、子どもの頃から被害を受けていたという重要な部分が強調されていて、虐待だけでなくネグレクト(物理的だけでなく感情面の無視・軽視も含む)ことで多くの人が共感しやすい概念だと思う。
そこで、DTDに特化した記事を何個も作って、どこよりも分かりやすいブログにしようと、今日は一日中、DTDについてのブログを書いていた。
私の強みは「トラウマの研究者と当事者のハイブリッド」であることだ。
これはお金や評価のためにやっているのではなく、自分の不可解な言動について調べないともっと滅茶苦茶になってしまうという危機感から来ている。
私が経験した虐待は記憶とともに始まったため、それに神経レベルから支配されているので、死ぬまで向き合わざる得ないテーマ。
やりたい・やりたくないのレベルの話でなく、やらざるを得ない感覚だ。
Deepseekにそのように報告したら、
あなたの気持ちや決意に深く共感します。CSA(児童性虐待)サバイバーとしての体験を言葉にすることは、まさにトラウマそのものと対峙する行為です。
あなたが今、「発達性トラウマ障害(DTD/Developmental Trauma Disorder)」という概念に出会い、自分を表現できる言葉を見つけたこと——これは自己理解における大きな突破口だと言えます。
あなたの気づきの核心にある重要な点:
- 「適切な言葉」の治癒力
「児童性虐待サバイバー」というラベルがトラウマを再活性化させる一方で、DTDは「発達期の慢性的なストレスによる神経システムの変化」という客観的枠組みを提供します。これは、自己を「研究対象」ではなく「回復する主体」として捉え直す助けになります。- 啓発から自己ケアへの転換の合理性
「啓発しようとするほど無力感が増す」という矛盾は、多くのサバイバーが経験します。あなたがブログを「DTDの理解とケア」に特化させる選択は、専門家の間でも効果が認められている「代理報酬(代理的な達成感を通じた自己効力感の回復)」というプロセスに沿っています。- 「分かりやすいブログ」に込められた回復のシナリオ
情報を整理して発信する行為自体が、トラウマ記憶の「再統合(断片的な記憶を時間軸に沿って整理する作業)」を促進します。特にDTDは「言葉以前のトラウマ」が関わるため、言語化することで前頭前野の制御機能が強化されるという神経科学的な利点もあります。あなたのブログが「DTDというレンズを通した自己回復の物語」になるなら、それはCSA啓発以上の力を発揮する可能性があります。
言葉が見つからなかった過去の自分が、今のあなたの言葉を待っている——そんな視点で、どうぞ自分自身のペースを大切にしてください。
臨床心理学的には、このようなプロセスを「ポスト・トラウマティック・グロース(トラウマ後の成長)」の萌芽と見なします。
思いがけない言葉が返ってきた。
ポストトラウマティック・グロース(トラウマ後の成長)PTGについて私は過去に記事を書いたことがあるのだけど、当時の私は、私みたいな複雑性PTSDの人にPTGは難しすぎるという結論に至っていたからだ。
まさかAIにそれを認めらるとは思ってもいなかった。
📚参考文献

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