最近、毒親から気力を奪われて、楽しみにしていた花火大会に行けるか直前まで分からなかった。
ストレスが溜まりすぎると、体が動かなくなるから、当日は電話相談に計3回頼った。
私と向き合いたくない毒親が、私の連絡先を知っているにも関わらず、弟に「私と連絡が取れない」と嘘をつき続け、私がそんな被害者ぶる偽善者とは話したくないと言っていたことから、弟から「大丈夫、お姉ちゃんの連絡してこないでというメッセージが届いているから」とお門違いなことを言われ、「私は腹を割って対話する姿勢を示しているのだから、本当にその気があるのなら、弟を巻き込まずに堂々と私に直接連絡してこいよ」という気持ちが完全に蔑ろにされてきたことにガッカリしている話。
小さいとき、父親の性的加害に初めてあった夜も、翌朝も、それからずっと、私の気持ちは都合よく解釈され、無視されてきた。
毒親と対峙して絶交した後も、なるべく前向きに生きようとしてきたけど、毒親の嘘を騙された弟から聞かされると、自分の声がどれほど届かないかというトラウマがぶり返す。
安楽死は親が死ぬ前にしないと意味がないから、本腰を入れないといけないけど300万円をどう作るかという話。クラウドファンディングでできたりするのだろうか。
いずれにしても、私がどれほど安楽死を切望しているか、今までどんな治療法を試してきたのかなどを説明するときにブログに書いてきたことが役立つので、これは死ぬまで継続するとして……。
弟のことも信用できなくなった。もうガッカリすることに耐えられないから。仲良くならなければ、傷つくこともない。以前のように、返信のペースを遅らせよう。誘われても会えないと言おう。
オランダ在住で同じく安楽死を希望している親友とも通話して、聞いてもらった。
期待するのをやめたら?と言われて、自分は弟に期待をしていたんだと気づいた。期待しないためにも、やっぱりあまり関わらないでおこう。関わるから期待してしまい、傷つくのだから関わらない。とてもシンプル。
小さい頃から、弟たちと仲良くしたかったけど、仲良くできないのには、ちゃんと理由があった。自分がお姉ちゃんとして我慢しなくてはならないことが多すぎて、同じように無邪気に遊べなかった。
結局、弟はナイーブだから親に騙され、私は騙されることに嫌気が差している。ライフステージが私はいつも先だから、弟がまだ追いついていないことにガッカリしてしまう。毒親はそこに漬け込む。同じことの繰り返し。
親友に話を聞いてもらっていながら、今出かけないと花火大会に間に合わないことに気づき、駅まで歩いた。
話を聞いてもらうだけで、行動がしやすくなるから、電話相談や親友には本当に感謝している。
引きこもりの私には普段は無縁な満員電車も今日ばかりは避けて通れない。
さらに最寄駅から会場まで約30分歩かされた。
最後に花火大会に出向いたのは多分2009か2010年。
15年前は彼氏と行ったっけ。今回は独り。初めてのひとり花火大会。
ほとんどの人が恋人や友達と来ていた。ぼっちもきっと紛れているんだろうけど、1人も見かけなかった。
だからといって人目も気にならなかった。
人は他人のことなんて関心がない(関心があるという嘘が上手いだけ)ってことを知っているから。
話し相手の代わりにオーディオブックで「The Body Keeps the Score」の続きを聞いていた。
PTSDや複雑性PTSDにおける研究の先駆けであるベッセル・ヴァン・デア・コルク氏による名著。
和訳『身体はトラウマを記録する――脳・心・体のつながりと回復のための手法』も出ている。
トラウマのメカニズムに関して解説しているバイブル的な本。
私のカオスな人生を理解してくれる賢い人も世の中にはいるということが分かる。
自分の人生体験が研究対象としても貴重なもののように思えてくる。
日本は精神医療に関して、欧米諸国に比べて非常に遅れているので尚更、自分みたいな事例が役に立つのではないかと。
私みたいに物心つく頃からのCPTSDが現在進行形の人が日々の生きづらさや症状を記録したら、理解を深めるきっかけになるかもしれない。
自分がこれ以上、腐ってしまわないために書いているのが大前提だけど、おまけに誰かの役に立てたら……そんなことがあったら、少しでも生まれてきたことに意味はあったのかな?って思えるかもしれない。
だって、こんな人生意味ねーじゃんっていうのが本音だからね。だから、はよ終わらせたい。でもこの感覚自体が複雑PTSD症状の一つだから。そういうことを研究者はデータとして確認したい訳だから。
本音で死にたいと思い言い続けるという一見全く生産的じゃなさそうなことにも価値があるということになる。
こんな気持ちで花火大会に来ている人他にもいるのかな?
花火大会に行くにはあるていど元気が必要なのは一目瞭然。来客の年齢層、低いもの。
年配者はほとんど見かけないもの。
死にたいと思っているほど鬱な人も花火大会にはこないだろう。
私は死にたいほど鬱なのに花火大会に来ているレアキャラ。
いや、思っているだけでなく「毒親の前に死ぬ」と決めたからこそ、死ぬときに後悔がないように来ている。
あと、これ以上、毒親に振り回されて、やりたかったことをできない精神状態にさせられないという自分への戒めでもある。
昨年、父親が弟を使って私に会いたいと伝言をしてきたのが花見の季節で、私は寝込んでしまい桜の季節を全く満喫できなかったことを今も恨んでいる。
だから今年は奈良の吉野山へリベンジしに行った。花粉症との闘いでもあったので、修行だった。
花火大会場に着くも、ほとんどが有料席で、本当に無料席なんてあるのか確認できる前に一発目が打ち上げられた。
今まで見た花火で一番大きく、すぐ近くで打ち上げられてのが感じられる。
花火も進化していた。虹色だったり、時間差で光ったり、工夫の凝らし方が昔とは違う。
さっき、花火大会に出向いたのは15年ぶりと言ったけど、遠目の花火なら偶然に見ることもあって、年々進化しているのは感じていたけど、今回ほどそれを実感したことはなかった。
年に一度、いろんな会場を巡るのもいいのかもと思ったのも束の間。
帰りの道のりも長く、暑いし、足は痛いし、来るとき以上の混雑で、駅前は長蛇の列。威張り腐る警官。
花火大会もやはり修行だった。
行列や満員電車はごめんなので、喫茶店で休もうとしたら、よりによって普段の営業時間に閉店しているし。喫茶店はそこくらいしかないし。限られた飲食店はどこも混んでいるし。
仕方ないので、店の軒下で座ってたら、寝落ちしていた。
休憩しただけでも、数年前の自分より成長したと思う。
昔の私は「休憩」という概念がなかったので、喫茶店に入るとか、ベンチに座るという発想がなくて、出かけたらずっと歩いたままで、足が痛くて、消耗して帰宅するというのが常だった。
行列が引いて、なんとか帰宅できた。
もう疲れた。身も心も。
帰ったらシャワーをすると思っていたのに、部屋につか頃にはそんな気力さえ残っていなかった。
ただ死ぬ前に、毒親のせいで花火を見れなかったという後悔よりも、足が痛くて辛かったけど花火に感動する瞬間があったと思えた方がいい。
死ぬための準備がまた一つ捗った。
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