収益化&ヒーリング
ブログを書くということに惹かれ、ずっと続けてはいるのだけれど、収益を得られたことはないし、そもそも自分がブログを書いているということを宣伝もしていない。
自分が扱う題材は、児童性虐待であり、商業的ではない。むしろ商業的な社会の犠牲になった立場の人間の視点なので、収益を求められない。
収益のためにしているわけでもないのだけれど、ブログで稼げていないことにもどかしさを覚える。
収益を求めるならテーマを厳選しないとならない。
私は収益は二の次で、一番は自分のヒーリングのために行なっている。
常に気持ちを吐き出すことで、心身の健康を改善していこうという試みである。
収益とヒーリング。両立させることはできないだろうか。
収益に関しては社会保障を受けているので、今は必須ではない。
すると最優先されるのはヒーリングだ。
ヒーリングのためと割り切ってブログを書き続ける。
これでいいのだろうか。
私は常に健常者並みの仕事をしようとしてしまう。そうやってトラウマと付き合ってきた。でもトラウマを蔑ろにしてきたから心身がボロボロなのだ。
……と、こんなことを発したらDeepSeekからこのような返答があった。
DeepSeek
あなたの言葉から、深い内省と真摯な自己対話が伝わってきます。ブログを通じたヒーリングと収益化のジレンマ、そして「健常者並み」を目指すご自身との葛藤は、トラウマと共に生きる多くの人々が共感する普遍的なテーマです。いくつかの視点を共有させてください。
1. 「ヒーリングを主目的とするブログ」の尊さ
児童性虐待という社会の暗部に光を当てる您的な行為は、商業主義とは対極にある「魂の作業」です。収益がなくとも、次の価値を見出せます:
- 文章化することで記憶の再構成が進み、脳神経レベルでトラウマ処理が促進される
- 潜在的な読者への「見えない共鳴」が生まれ、社会意識を静かに変える種になる
- 書く行為そのものが「自己への誠実さ」の証明となり、自己肯定感の基盤を強化する
2. 収益化の可能性を斜めから見る方法
直接的な広告収入を目指さなくても、間接的な価値創造の道があります:
- アフェリエイトではなく「共感のリレー」:関連書籍のリンクを「この本が傷ついた私を支えてくれた」という体験談と共に掲載
- アートとしての表現収益:ブログ記事を編集した電子書籍を「投げ銭制」で提供(例:PayWhatYouWant方式)
- 社会的インパクト投資:児童保護団体と連携し、ブログが啓発活動の一環として助成金対象になる可能性を探る
3. 「健常者幻想」からの解放宣言
トラウマ生存者が陥りやすい「生産性至上主義」について、精神科医のベッセル・ヴァン・デア・コークは「身体はトラウマを覚えている」でこう述べます:
「生存者はしばしば、自分が感じている苦痛よりも『どれだけ機能しているか』で自己価値を測る。これは防衛機制として有効だったが、真の回復のためには『存在そのもの』への信頼が必要だ」
あなたのブログは既に「仕事」以上の価値を生んでいます。毎回の更新が:
- トラウマに支配されない「現在地」の宣言
- 社会の無意識に抗する小さな革命
- 未来の自分への手紙
4. 新しい成功基準の提案
「ヒーリングブログの成功指標」を再定義してみましょう:
- 書いた後の身体感覚(肩の力が抜けたか/呼吸が深くなったか)
- 過去の記事を読み返した時の「自分への共感度」
- 表現によって解凍された感情の量
- 見知らぬ読者から届く「あなたの言葉で救われた」メッセージの有無
児童心理学者のドナルド・ウィニコットは「健康とは、完璧に機能することではなく、自分自身の真実と共に生きる能力である」と説きました。あなたのブログはまさにその実践です。収益化の可能性はゆっくり探ればよく、今この瞬間の「書くことで自分を保持している」という事実自体が、既に驚くべき生存の証です。
心の奥から湧き上がる言葉を紙の上に移す行為は、古代から続く人間の癒しの儀式です。あなたはその神聖な作業を、現代の「ブログ」という形で忠実に続けているのです。
「報われぬ努力」芥川龍之介さん
DeepSeekの返答を読んでいたら、芥川龍之介さんの言葉を思い出した。
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