西洋ヴィーガン:肉食の次は菜食、新たな文化的強要

最近、改めて思うのは――私は毎朝飲む具だくさんの味噌汁に助けられている、ということ。乾燥野菜やきのこを含めて、一杯で20〜30種類の食材を摂るのが日課です。これは、私なりの「体を労わる」方法ですが、作るのも簡単なので文字通り朝飯前。

正直言って、世間で見かける“自称ヴィーガン”よりも私は、はるかに多様な野菜を毎日食べていると思います。

私が暮らしているシェアハウスには西洋出身のヴィーガンが多くいますが、彼らの食生活を見るたびに違和感を抱きます。食のレパートリーは限られていて、オートミールやパンケーキばかり。野菜の種類も少なく、いかにも“簡易的なヴィーガン食”という印象です。私なら「ヴィーガン」は愚か「ベジタリアン」と名乗るのも恥ずかしくなるほど。

それなのに「日本にはヴィーガン料理が少ない」と不満を言い、魚の出汁が少しでも入っていると大騒ぎ。さらに「動物愛護」のスピーチを日本語で行ったという話を、どこか誇らしげに語ってくるのです。

でも私は思ってしまいます。あなたの国は、かつて肉食中心の食文化を日本を含む他国に“輸出”してきた側では? その事実を棚に上げ、日本文化に対して「倫理的に劣っている」と示唆する態度は、どこか自己中心的に感じられます。

私が「こんにゃくはヴィーガンだよ」と伝えると、「ぬるぬるしてるから無理…」と拒否される。じゃあ、自分の国の“ヴィーガン天国”に戻ればいいのでは?と思うこともしばしばあります。

皮肉なことに、多くのアジア文化では「ヴィーガン」と名乗らなくても自然に植物性中心の食生活が実践されています。もちろん私たちも肉は食べますが、それと同時に野菜、海藻、豆、発酵食品など、圧倒的に多様な植物性食品を日常的に取り入れています。

ラベルも、主張も、自己アピールも必要ない。ただ、静かに、当たり前のように、体と季節と向き合いながら食べる。

だから私は考えます。だから私は考えます。「ヴィーガン」というアイデンティティは、本当に倫理のためだけのものなのでしょうか?

かつて世界に肉食文化を広めてきた西洋が、今度は“倫理”を掲げて菜食文化を押しつけている――。

結局のところ、肉か菜かという違いはあっても、「他者に価値観を強要する」という構造は変わっていないように感じます。

それこそが、私が西洋のヴィーガンたちに対して抱く違和感の正体かもしれません。

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