人好きな良い人を演じてしまう自分に困惑する人間不信な我

土用最終日の5月5日、心にもないことを言ってしまい後悔する、という悪い癖をまたやってしまう自分に困っています。

お弁当を作りに台所に行ったら、シェアハウスの新人に出会した。

話の流れで、彼女からの「今度一緒に飲みましょう」という誘いに私は乗っていた。私はワインを大人買いしてしまい、消費に困っていたこともあり、好都合とその時は思った。

でも具体的に「いつ」と話が進む途端、本心ではなかったことに気づいた。どうやって断ろうかという考えで頭がいっぱいになってしまい「その日は予定入っていたと思うけど、確認するね」と逃げ切るのが精一杯。

部屋に戻ると、布団に包まって「また、やってしまった」と後悔の念に苦しむ。いてもたってもいられず、電話相談(自殺防止や引きこもり用等)に連絡。

「良い人と思われたいから」なんてもんじゃない。

実は人間不信が根深く、人間を恐れているから、人間嫌いがバレないように、その事実が微塵も感じられないような言動を自然としてしまうようだ。

しかも「一緒に飲みましょう」と言っている私は決して嘘をついているつもりはない。イメージに浮かんでいる「お昼から優雅に公園で飲むシャンパン」は本当に素敵。完全に「人間好き」に成り切っている。

だけど、「じゃあ、いつにします?」と聞いてくる人は、一緒に飲みたい人ではないことに気づくのが遅すぎる。

私はこれまで幾度も同じ過ちを犯してきた。友達から誘われた行きたくもない海外旅行に散財して貯金が底がついたこともある。もうさんざん修行をして学んだと思ったのに。

やっと5月5日から立夏で新しい季節の始まりだというのに、気分が落ちていく。このままでは、去年みたいにほぼ一年中、鬱でベッドから出られない状態になってしまうことを恐れた。

翌々朝、嘘をついた。「5月から新しいプロジェクトが始まって、しばらく忙しくなりそうだから、飲み会はまたの機会でもいいですか?」。その人は快くOKしてくれたので、私は胸を撫で下ろした。

なるべく正直に生きることを目標にしているから、ベストな選択ではなかった。

でも、私が人間不信になってしまった生い立ちについての長い話を聞いてもらうよりも、サクッと嘘という方便をついた方が相手も理解しやすく、シェアハウスの空気も悪くならないだろうと言う計らいがあった。

今後、嘘を何どもつかなくて済むように、言動には気をつけよう。

それには、「良い人・人好きになりきろうとしなくていい」と自分に言い聞かせることも大事。

それほど、私は人間が怖いし、信じていないし、あまり深く関わりたくない。

いい人や、相性がいい人や、たまたまその人のいい部分しか見なくて済む場合もあると思うけど、私自身が人間嫌いな自分を残念に思っている。

そのことを他人に知られなくないから、こういう面倒なことになってしまうのだということを受け入れていこう。


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