『ミステリアス・スキン』は、子どもの性的虐待(CSA)の長期的な心理的影響を、非常にリアルに描いている稀有な映画だ。
この映画が偉大なのは、性的な暴力の描写そのものではなく、その後遺症を、異なるふたつの人生の対比を通して描いた点にある。
ひとりは、自らの過去をセックス依存やシニカルな態度で塗りつぶしていく少年。
もうひとりは、記憶がまったく思い出せないまま「宇宙人に誘拐された」と信じ込みながらも、失われた記憶に苦しむ青年。
ふたりの姿はまるで、**解離性障害(DID)や複雑性PTSD(C-PTSD)**のメタファーのようでもあり、どちらも私の人生に重なる部分があった。
あまりの見苦しさに、私は何度も目を逸らし、音量を下げてしまった。普段なら残虐な殺人シーンも平気で観られる私ですら、この映画だけはそうはいかなかった。
一見、暴力的でないグルーミングのシーン。
娼夫として「同意」によって快楽を得ているように見える性行為のシーン。
血が流れるほどの暴力を受けるシーン。
それらすべての背景には、「幼少期に信頼を裏切られ、性的搾取の対象となった弱者の生き延び方」が描かれている。
だからこそ、どの場面も痛々しく、息が詰まる。
殺人とCSA──「罪の重さに優越がない」は綺麗事
皮肉なことに、この世界では殺人のほうがCSAより“重罪”として扱われる傾向があります。殺人は、命を奪うという一点において、絶対的な暴力です。
けれど、CSA(子どもの性的虐待)は、命こそ奪わなくても「生きる力」や「人生そのもの」を奪う犯罪です。
しかもその奪われ方は、本人にさえ気づかれないほど巧妙で静かで、始末が悪い。だからこそ、CSAは実質的に最も重い犯罪になってしまっていると、私は感じます。
殺人には多くの場合、悼む人がいて、裁きを求める声があがる。
でもCSAでは、子どもは生きたまま傷を背負い、生きたまま崩れていく。生きながら死んだような人生を送り、それでも加害者を“家族”として許容することまで求められる。
その痛みは深く、やがて本人ですら「なぜ自分がこんなに壊れているのか」わからなくなるほどに、記憶の底に抑圧される。そして誰も、その子のために戦ってくれない。
社会は、目に見える物理的な「命を奪う行為」にだけ即座に反応します。ニュースになる。捜査が始まる。犯人を非難する声があがる。
でもCSAは、命を奪わないからこそ、声も上がらず、可視化されないまま、静かに時間をかけてその人を壊していきます。
「罪の重さに優越をつけるな」と言うのは簡単です。
けれど、その綺麗事の裏で苦しんでいる人に、社会はどれだけ寄り添えているでしょうか。
私は、殺人よりCSAの方が重く感じます。これは道徳の問題ではなく、「虐待されるくらいだったら生まされたくなかった、死にたい、さっさと殺してほしい」いう感覚を持った者としての現実の感覚です。実際、私は日々、スイスで安楽死をする準備期間として生きることで、騙し騙し過ごしています。
見て見ぬふりをする社会の中で、CSAの被害者はたったひとりで、自分の崩壊に気づきながらも、それを抱えて生きていくしかない。
わざわざ誰かに殺されなくても、自ら命を絶つ人は少なくない。そして最悪の場合、その耐え難い苦しみが、やがて新たな加害性へと姿を変え、連鎖を繰り返すことすらあります。
実際、それが殺人という形になることも、決して珍しくありません。社会はそうした人々を”理解不能な怪物”として切り捨て、都合よくスケープゴートにして終わらせます。
けれど、誰がその人をここまで追い詰めたのか。どこからその破壊は始まったのか。そこにこそ、目を向けなければならないはずです。
それでも、この映画は観る価値がある
この作品は、「子ども時代に性被害を受けたその時から影響が何歳になっても続く」という現実が描かれた、数少ない物語です。
観るには心の準備が必要かもしれません。でも、以下のような人には、特に観てほしいと思います:
- CSA当事者として、自分の経験を理解し、癒しの糸口を探している人
- CSAという現実を学び、防止や支援に関心のある人
- 単なるエンターテインメントに飽きて、もっと本質的な物語を求めている人
- サイコスリラーが好きだが、大人になってからのPTSD描写だけでは物足りないと感じてしまう人
『ミステリアス・スキン』は、ようやく辿り着いた一作
『ミステリアス・スキン』という映画は、CSA当事者である私にとって非常に大切な一本ですが、意外にも「おすすめ映画」や「名作サイコスリラー」のような文脈では見かけません。
私自身、トラウマによる記憶喪失を扱った主人公の映画がなど好きで数多く観てきましたが、その多くが「大人になってからのトラウマの発症」や「事件のショック」止まりで、CPTSD──とくに幼少期の性的虐待による複雑性トラウマを深く描いた作品は、ドキュメンタリー以外ではなかなか見つけられませんでした。ようやく辿り着いたのが、この『ミステリアス・スキン』でした。
児童性的虐待というテーマは、あまりにも扱いが難しく、正面から向き合う作品が極めて少ないのが現状です。それも無理のないことかもしれません。けれど一方で、ネット上にはいくらでも児童ポルノ(加害者向け)の広告やコンテンツが転がっているという現実があります。
加害者の欲望を刺激するものは溢れているのに、被害者の視点を描いた映画は、極端に少ない──それは、社会の関心や優先順位の歪みを象徴しているように思えます。
この映画は、観る人を選ぶかもしれません。でも、必要とされている人には届いてほしい。
『ミステリアス・スキン』は、その痛みと記憶と共に生きる者たちの「今」を描いた、数少ない物語です。
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