犯免狂子Pneumaのブログtwilighthues.com

はじめに
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ブログtwilighthues.comの主Pneuma(ぬうま)と申します。

幼児期から両親の虐待(父による猥褻、母による体罰など)により、
十度な精神疾患CPTSD(複雑性PTSD)患ってきたことを
20代後半くらいから徐々に気づき始めたきっかけは、
恋人へのモラハラやDV加害をしてしまう自分を止められないことへのショックでした。

親の言動が「愛情表現」や「躾」だと教え込まれ、
違和感を覚えながらも、親のことを理解し受け入れようと、
「両親に溺愛され過ぎている人格」になりきることで感覚を麻痺させてきました。

しかし、どんなに前向きに生きようとしても、
自分自身の首を詰め続けてしまう構図が、
初めて父親から猥褻をされた夜から出来上がっていったことに気づき、
負の連鎖を断ち切るため「両親との対決」をしました。
やり方は『毒になる親』という本で学びました。

そして自分の被害と向き合った途端、
自らも弟に性加害などをしていたことにも気づきました。

自分が加害者になっていたという事実は、
被害者であると自覚するよりも難しいことです。

弟に謝罪し、許しを得られましたが、
自分自身が自分を許すことができません。

スイスでの安楽死を計画しましたが、
皮肉にも、恋人や弟は、それを望まないと言います。

そのため実行は、彼らを看取るまで保留にし、
どの道、尽きる命なら、その時が来るまで
こどもへの性犯罪の予防やハームリダクションに取り組むことに決めました。

その第一歩として、
話を聞いてくれる人に頼り、
暴力的な習慣の代替案を学び、
自分自身の感情や感覚を受け入れられるようになるなど
日々取り組むことが沢山あります。

親と対決した後も、
父親の気持ち悪い言動や、母親による裏切り、
浮気癖から自分や恋人を傷つけてしまったり、
心身共に休まる住まい探しに苦戦したりなど、
辛いことは尽きませんが、
振り返ると、親との対決をする前より、
自分の感覚が少しづつ戻ってきている気がします。

その助けになっているのが、
今の気持ちを言語化することや
蘇る過去の経験を書き出すこと。

電話相談や、精神科の通院、ゲシュタルトセラピーなど、
気持ちを解放することを中心としたサイコセラピーが自分には合っていると、
古今東西の精神治療を試行錯誤してきて感じています。

ただ、どんなに画期的と言われる治療法や万能薬でも、
患者自身やセラピストがその目的や使い方を誤ると、
更なる害を及ぼす可能性があるので、過信は禁物。

例えば、海外では、性被害などを受けた患者が、
「最先端」のトラウマ治療を施していたセラピストから
性被害を受けるという問題が相次いでいます。
私自身もこのような経験があります。

問題なのは、セラピストがその立場を利用して、
患者との間にある境界線を侵害してしまうこと。

なぜこのようなことが起きるのかというと、
他人との見えない境界線を侵入してはならないことを伝える、
包括的な性教育を怠ってきた伝統を人類が守ってきたからだと思うのです。

・自分の体を他人に見せない、触らさせない。

・他人の体を勝手に見ない、触れない。

・嫌な気持ちになったら、嫌だと言って、逃げて、聞いてくれる人が見つかるまで助けを求め続けること。

老若男女、自分自身を守るために、生きていくために必要不可欠である、
健全な自己防衛の基礎を知らない大人が多すぎる。

子どもは、この境界線を尊重できない大人の真似をするものだから悪循環になっている。

大人は子どもの気持ちに耳を傾け、当然のように偽善を押し付けるのを辞めましょう。

言うは易し、行うは難し。
私も、苦戦しています。

でも私には希望があります。

よく見渡すと、他人との境界線を尊重できる人が少数でも存在しているからです。

目の前にいる子どもの気持ちや、自分自身の中にいる子どもの声に気づける人がいるからです。

私は何歳になっても良いお手本を見つけては猿真似をし、
得たものを分け与えられるようになろうと思いながら、生きていきます。

PS

英語圏では常識化している情報であっても、
日本語ではタブー要素が強過ぎて書きづらいことが沢山あったり、

逆に日本語では情報が多いことでも、
英語にはほとんどないこともあるので、

私が関心のある分野だけでもその溝を埋めていければ、と密かに思っています。

英語サイトには、私が「両親に溺愛され過ぎている人格」を形成するために不可欠であった「和を中心とした食」について書いています。

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