貯金が底をつくだろう2024年春前に覚悟を決めたい。
生活保護のお世話になるだろうことを。
生活費に頼らないとならない状況を認めたくない自分と向き合う。
仕事第一優先だった私が、こんなことになるとは。
信じられない自分と、当たり前だと思う自分がいる。
働かないことへの楽さが分かってきた反面
引きこもり状態に罪悪感を覚えないよう苦戦していて
3年経っても「無職」にはまだ慣れない。
私が状況を打ち明けているのは2人だけ。
1人は彼氏、もう1人は親友。
外行きの空元気でない私も知っているふたり。
私は、幼児期の頃(3〜4歳)、父親から猥褻を受け始め、
それを誰にも相談できないまま成人し、
ようやく精神治療を受け始めたのが30代後半からのことで、
精神疾患(CPTSD)のあらゆる症状が今も出ている。
ワーカホリックも日常を忘れ、離れるための手段だった。
虐待の記憶が消えていた頃、否定していた頃、矮小化していた頃は、仕事に没頭することで現実逃避できていた。
でも「仕事をさえしていれば良い」という信念は3年前に完全に倒壊し、生きる糧を失った。そのことは後に詳しく書きたい。
スイスで安楽死したいという希望は、一旦保留。私の近しい人々を看取り終わった日まで。
今は、自分の人生経験をコミックエッセイなどの形で振り返り発表しながら、精神治療を続け、今の自分が少しでも楽になれる方法を試行錯誤するイメージで生きている。
労働時間を切り売りする仕事は一旦休み、
自分を切り売りすることが、収入の有無に関わらず求められている。
使命感と言ってもいい。
ようやく重い腰を上げ、最後まで避けてきたことに取り掛かり始めた。
新たなステージの下積み時代が始まっている感覚がある。
今までは、親にも頼らず、自力で経済的に自立できるよう頑張ってきた。
それに限界を感じ、他人に頼るという一番苦手なことに挑戦している感覚だ。
いくらでもカッコよく言おうと思えばできるけど、
私が生活保護を受けようとすることは「甘え」というよりも
「甘え方を学ぶ訓練」のようなもの。
きっと子供の頃から練習するものだろうけど、
親に精神的に甘えられないで育った私は、大人になってから練習するしかない。
人間は結局、他人に頼らなければならないから、上手な頼り方を学のも必要だ。
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