作/犯免狂子
昔、「引きこもり」の人たちは「何だかんだ恵まれている」と私は思っている節があった。
不謹慎な話だということは重々承知だ。
けど、部屋に閉じこもれるってことは、
他人が勝手に入ってこれないプライバシーが確保されている
ということが大前提としてある環境に見えた。
私にはこれがなかった。
それに、自分や世に何らかの問題があると感じていることを、
引きこもることで自己主張できている。
私にはこの自由もなかった。
念願であった永久家出は21歳の時に実現。
実家を離れて約20年、紆余曲折を経て
現在「引きこもり」みたいな状態になっている今、
鬱は辛いけれど、やっぱり
引きこもる自由さえなかった時より
「引きこもれる自由があるだけ幸せ」だと思う。
実家にあった「私の部屋」には鍵さえついていなかった。
親はノックもせずに勝手に入ってくる。いきなり怒られる。
父親からは勝手にドアを開けられ、無言で覗かれた気持ち悪い思いをしたこともある。
そもそも、自分が幼児の時から、父親の性加害を受けてきた記憶と
母親の躾という名の体罰と精神的な虐待を理不尽だと感じていることを
両親に気づかれることもできなかった。
だから、元気を通り越してひょうきんで勤勉な子を装ってきた。
私には、引きこもる自由・発想さえなかった。
今は、引きこもっている。
引きこもれている。
相変わらず生き辛いから、
引きこもりが辛いのも分かるけど、
引きこもれているだけ、
前進したんだと思う。
引きこもりは、セルフケアの一つだと思うから、
引きこもれるうちは、とことん引きこもってもいいのかな。
出たい・出た方がいいと思う気持ちとの葛藤は半端ないけど。
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